約5500字/原作軸
我妻善逸は甘味が好きだ。気がつけば1日に1回、下手すれば2回は口にしている。たしかに鬼殺隊士は食べ盛りの年齢の人間が多く、また任務や鍛錬で活動量も多い。だがその分、蝶屋敷や藤の家紋の家では費用はかからずに基本として食べたいだけの食事ができるのだ。
食事は隊士にとって切実に生きる糧だ。体力をつけ、筋肉をつけ、傷を治すための糧だ。ゆえに食費など考え込まなくていいように鬼殺隊にゆかりある場所であればその費用は太っ腹なことに産屋敷家が負担してくれるのだ。
炭治郎も善逸も伊之助も割と食う方だ。伊之助はおかずが好きだが、善逸はどちらかというと米の方が好きで、炭治郎はタラの芽が好きだ。ようするに炭治郎はタラの芽以外は偏った嗜好はないゆえにほいほいと誰かにあげてしまうこともしばしば。腹が減ったら後で追加で米をもらい、おにぎりでも作ればいいと考えている。
つまり隊士は食事に困っていない。腹が空いても食事を取れるのだ。しかしながら善逸はその上で甘味をさらに食べる。自分で買ってくることが多いが・・・・・・場合によっては屋敷の台所から勝手に拝借してしまうこともある。炭治郎やアオイはそれを叱るのだが善逸は懲りずにまた盗ってきてしまうのだ。
炭治郎とアオイは善逸のこの悪癖をなんとか止ませたかった。まあ、善逸は甘味を盗むがそれを上回る頻度でみんなに土産と甘味を買って来てくれるため、盗られたものより与えられる量の方が多い。
ゆえに盗られてもアオイだって叱って、もうダメですよ!と言ってそのまま仕方ない人だと許してしまう。善逸が悪人ではないのはわかり切っているからだ。炭治郎だって善逸が無断拝借が失礼だからと怒っていて、善逸は悪いことをする人間ではないことを知っている。しかし何故だか甘味を前にすると善逸は手を伸ばしてしまうのだ。他のものには、禰豆子を喜ばせる可能性がありうるもの以外は興味も示さないのにこの甘味対する執着はなんなんだ。
そして今日もまた、善逸は甘味に手を伸ばす。
「だから!何度言えばいいんですか!!勝手におやつを盗って食べないでください!!!」
「ひええええ!ごめんよアオイちゃあああん!!許してよおおおおお!!」
蝶屋敷の廊下でアオイの盛大な説教の声が響く。善逸は廊下に正座して、その脇で困った顔の炭治郎が立ち、その目の前に目尻を吊り上仁王立ちしたアオイが善逸を睨みつけている。
今日も今日とて我慢できなかった善逸は蝶屋敷の戸棚からおやつを拝借したのだ。毎度毎度、「もうしません!!」という善逸だが気がつけば、どうしても甘味を持ち去ってしまう。
「ごめんよおおおお!俺もダメだって分かってるについ!つい手があああ!!」
「その言い訳は聞き飽きました!!」
「本当にすみません・・・・・・」
「なんで炭治郎が謝るんだよおおおお!俺が悪いのにいいいいいい!」
ぐすぐすと泣く善逸と困る炭治郎に怒るアオイ。三者のやり取りは蝶屋敷によく顔を出す人々からすれば「ああ、またか」というものであれは一種の様式美なのではという考えすらあった。しかし蝶屋敷の人間がいつも同じ顔ぶれとは限らない。中には意地の悪い、よくも知らぬが人のことをあげつらう輩もいるのだ。そして今日はそんな日だった。
「孤児だから手癖わりぃーんじゃねーの?」
すれ違い様、侮蔑するように言い放たれた言葉は特別に耳がいいわけではない炭治郎とアオイの耳にも入った。ちょっとどころじゃなく聞き捨てならない。しかし急いで振り返ったが隊士はどうやら任務に行く前のようで鬼殺隊の制服を来て、帯刀をしていた。そして何も知らぬ同行者らしき男が「おーい!早く行くぞー!」と廊下の先で呼んでいる。引き留めることはできない。
炭治郎とアオイは歯軋りしたい気持ちで善逸を見下ろすと善逸は実に顔を青くしてしょげ返っていた。
あいつマジ許さん
炭治郎とアオイは顔を見合わせると一つ頷いた。これは何がなんでも善逸を矯正させねばなるまい。あんな善逸を何も知らぬ輩に罵られるのを許容してなるものか。しかし善逸が甘味を盗るのは事実だ。これを早急になんとかせねば。しかしいくら言ってもやめぬのだ。生半可な制裁ではダメだ。
「善逸さん!!あなたはこれからひと月、甘味禁止です!!」
「ええええええ!?甘味禁止ぃぃぃぃ!?え!?え?自分で買う分にはいいんだよね!?」
「それもダメです!!罰になりません!!」
「嘘でしょっ!?そんなん俺、死んでしまうよ!!」
「落ち着け善逸。甘味を食べなくても人は死なないぞ」
「死ぬよ!!心が死ぬの!!甘味を食べられないなんて人生の楽しみを失ってるじゃん!!俺の生きる意味の半分は死んでるぞ!!いやいやいや!!お願いアオイちゃん!甘味なしなんて嫌だよおおおおお!」
「ダメです!しっかり反省してください!!」
アオイの剣幕と本気の音に善逸はうぐっとしゃくり上げて項垂れた。その背中を炭治郎が優しく撫でる。
「善逸!俺も一緒に我慢するから!頑張ろう!」
「内緒で食べようとしてもダメですからね!ちゃんと炭治郎さんとチュン太郎さんに見張ってもらいますから!!」
かくして善逸の甘味断ちが始まった。期限は1か月、甘味を一切食べられない辛さを覚えれば、ちょっとの誘惑に負けて長い苦痛を味わう恐怖で甘味に対する手癖の悪さも収まるだろう。炭治郎とアオイはそう信じて善逸に苦行を課した。
善逸も2人が本気であるのを感じ取ったのか渋々とであるが従った。これを破ると本当に2人に見限られるかもしれないと思ったゆえだった。甘味を食べて友人を失うなどあってはならないことだ。
さて甘味断ちを初めて7日が経ち、善逸は実に順調であった。しかし溜息をつき、少し集中力が散漫になっているところが見受けられる。これはきっと楽しみがない喪失感ゆえだろうと思い、炭治郎はなるべく善逸に花札や双六で遊ぼうと誘う。すると善逸はニコニコと笑って喜んでくれた。こうしていれば自ずと甘味を断つのも難しくないだろうと炭治郎もアオイも頷いていた。
さらに7日が経ち、間に任務を挟みながらも善逸はちゃんと頑張って甘味を断っていた。食べられないことにも慣れ始めたのか、はたまた食べないのを炭治郎にことさら褒められるので気を良くしたのか善逸はよく頑張っていた。しかしこの頃から善逸はよくご飯を食べるようになってきたのだった。
「善逸?まだ食うのか?」
「う、うーん・・・・・・うん・・・・・・」
善逸は苦悶の表情を浮かべながらも実に4杯目の米を食べようとしている。善逸は多くともおかわりは1回だ。しかしここ最近はおかわりが増えているのだが、とても腹が苦しそうだった。
「ううっ、気持ち悪い・・・・・・」
「いくらなんでも食べすぎだ!無理をして食う必要はないだろう!」
「そうなんだけど・・・・・・なんか、すっごいお米が食べたいんだよ・・・・・・。でもお腹苦しいし・・・・・・」
はあ、と溜息をつく善逸から炭治郎はお茶碗を取り上げた。このまま食べ続けたら吐き戻しかねないからだ。炭治郎は善逸を少しでも楽にさせるために左向きに横にさせる。善逸は顔色を悪くしながらも「うう・・・米、食べたい・・・・・・」と呻いていた。
この時に異常を感じてしのぶに相談していればこの先の結果はもっと良くなったかもしれない。しかしながら実に時機が悪く、炭治郎に単独任務が入ってしまったのだ。そしてそこから炭治郎と善逸の任務によるすれ違い生活が始まってしまった。期間は実に10日日。つまりは善逸が甘味断ちを初めて24日目、その日にようやく炭治郎は善逸と再会したわけだが・・・・・・その変わり果てた姿に目を剥く。
「ぜ、善逸!?いったいどうしたんだ!?」
任務からの蝶屋敷への帰り道、道の途中で再会した善逸は真っ青な顔でガタガタ震えていた。目線も炭治郎を捉えておらず、足元はふらつき冷や汗とそして情緒がどこかへ旅立ったのかほとほとと静かに涙を垂れ流している。
「・・・・・・た、たんじろー?」
「そうだぞ!お前・・・・・・!こんな体で任務に行ったのか!?」
炭治郎は今にも倒れそうな善逸を支えた。善逸は変わらずどこを見ているのか分からない目で、そしてこんな隣で話しているのに聞こえているのか聞こえていないのかすぐに返事がない。しかしゆっくりと時間をかけて善逸はぼそぼそと小さい声で話し出した。
「い、行った・・・・・・。で、出かけた時は普通だったんだ・・・・・・けど、鬼を斬った後からなんか・・・・・・なんか・・・・・・」
善逸はそこまで言うとがくりと意識を手放した。炭治郎はさっと血の気を引かせると急いで善逸を蝶邸へと運んだ。これはまずい!もしかしたら鬼に血鬼術をかけられたか、それか毒を受けたのかもしれない。
炭治郎が善逸を抱えて帰ってきた後の蝶屋敷はてんやわんやだ。すぐさましのぶの元に通されて、アオイと一緒に善逸の容態が検分されていく。炭治郎は心配で診察室の壁に立ち、オロオロと善逸を見ていた。大丈夫だと信じたいが人はあっさりと死ぬこともある。目の前で死人のように横たわる善逸に炭治郎の恐怖は煽られていく。
やがてしのぶは善逸から離れると重々しく溜息をはき、額を抑えた。その鎮痛な面持ちに炭治郎は思わず善逸に取りすがる。
「しのぶさん!善逸はどうなんですか!?」
炭治郎が善逸の手を握ってそう問いかけるとしのぶはその美しい顔を歪めて「低血糖ですね」と言った。
「・・・・・・ていけっとう?」
「て、低血糖ですか!?しのぶ様!?」
「そうとしか考えられません。血鬼術でもなく、毒でもない。症状は低血糖によるものだと考えられます。アオイ、ブドウ糖のパックを出して頂戴。点滴しましょう」
しのぶはテキパキと善逸に点滴を繋げていく。炭治郎はその様子を見ながら、低血糖とは?と考えていた。
「あの、しのぶさん。低血糖ってなんですか?」
「低血糖とは体内の血糖値が正常範囲以下まで下がったことをいいます。低血糖が起こると冷や汗や動悸、眠気や手足の震えが起こります。そして重症になると痙攣や意識を失い昏睡します」
「病気なんですか!?」
「一概にはそうとは言えません。低血糖は食事量が少ない、空腹時での極度な運動などでも引き起こされます。とりわけ炭水化物が少ない、つまりは糖分不足になると起こります。・・・・・・ふむ、なんででしょうねえ?善逸君は食事制限でもしていたんでしょうか?」
しのぶが不思議そうに首を傾げるのを見ながら、炭治郎とアオイは心当たりに顔を青くする。糖分が足りていない、しかし善逸は食事量は増やしていた、なのに低血糖とはこれいかに。もしや、まさか・・・・・・。
「あの、しのぶ様・・・・・・実は・・・・・・」
アオイから一連の甘味断ちの子細を聞いたしのぶは困った顔で笑った。炭治郎とアオイはその反応からこの事態が甘味断ちから引き起こされた結果なのだと理解する。
「なるほど。甘味断ちですか・・・。残念ながら善逸君はそれをすると本当に死んでしまいますよ」
「えっ!?本当に死ぬんですか!?」
「そうですねぇ。死んでしまうでしょうねぇ。低血糖も重症になり処置が適切でないと死にますから」
しのぶが笑いながら言うのに、炭治郎は肝を冷やした。そんな甘味を食べなかったら死ぬとか善逸が泣いて喚いていた通りではないか。
「で、てもなぜ甘味を食べないと死ぬんでしょうか?」
「・・・別に甘味である必要はないですが、要するに善逸君は人よりも糖分を多く摂取しないといけないのでしょう。おそらく耳が良いことが理由です。近くから遠くまでの膨大な音を聞き分けて人の感情すらも分析できてしまうその能力は、脳を大きく働かせていると思われます。そしてそれはあまりにも善逸君にとっては日常です。つまりは善逸君の脳は常に人よりも多く働いているということです。脳が働けば糖が失われます。だから善逸君は人よりも糖分を多く取らねばなりません」
しのぶの説明に炭治郎は分からない点もあったが、要するに善逸は体質として糖分を人より多く必要としているのだということが分かった。甘味断ちをしてから米を苦しくても食べようとしていたのも無意識で糖を欲していたからなのだろう
「じゃあ、善逸が甘味を好きなのは・・・・・・」
「効率よく糖分を取ろうとしているのしょう」
「そ、それでは善逸さんが屋敷の甘味を黙って盗って食べるのは・・・・・・」
「ううーん。低血糖になると集中力を欠きますから判断能力も下がりますね。きっと糖を取るのを優先してしまうんでしょう」
炭治郎とアオイはなんということだとうな垂れた。つまり善逸の手癖が悪いのは失われた糖を補給するための緊急措置ということか。だが、それでも・・・・・・一言言っておいて欲しいと思うのはダメなのだろうか?そんなに、切羽詰まってるのか。
「まあ何にせよ。善逸君は甘味断ちはやめた方が良いですね。任務の際にふらついて倒れなくて幸いでした」
しのぶは笑って言っているがぞっとすることだ。炭治郎とアオイは自分達の浅慮を恥じる。
そして蝶屋敷には『我妻善逸専用』と書かれた甘味入れが常備されることとなった。


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