that’s bad dad

妊娠表現ありなので注意。最初は展開が重たいけど、だんだん緩い感じになります。
最終的にはハッピーですが、人を選びます。
15,000字/18禁/現パロ/女体化

「妊娠三ヶ月ですね。おめでとうございます」
「えっ」
「あなたはお母さんになったんですよ」
「えっ……」

 ややおばあちゃん寄りの先生がにこにこしながらそう言った。俺は驚きと困惑が同時に襲ってきていて、その笑顔に笑顔を返せない。そんな俺の反応に、様々な事情の人達を診てきたであろう先生が表情を曇らせた。
 ああ、ごめんなさい。悪い想像させちゃってますね。うん、でも、あんまり間違ってないかも。この妊娠は正直、誰も望んでないし想定していなかったものなんです。
 俺はそんなことを思いながら産む、産まないに関わらず妊娠したあとの事を丁寧に教えてもらい、なんか励まされながら産婦人科を出た。『お腹の子にとっては、あなただけがお母さんなのよ』という、自分の柔らかなところを刺すような言葉までもらって。

 なにが悪かったかというと、たぶん俺たちの仲が良過ぎたんだと思う。男と女だとしても、何しろ高校からの付き合いだ。大学だって同じで、卒業して社会人になったあともなんだかんだと遊んでるし。
 成人して酒を飲むようになってからさ、もっぱら俺の家が溜まり場みたいなもんだった。あいつの家にはまだ小学生の子もいるからっていう理由と、だらしない俺が汚しっぱなしにしてる家をあいつが片付けにくるのよ。掃除が趣味だからって人の家まで掃除するの凄いよなぁ。
 そんなわけであいつと俺が部屋で二人きりなんてよくあることだった。大学の頃まではそこにもう一人いて、そいつは卒業と共にバックパッカーになったから自然と遊ぶのは二人だけになってしまったわけなんだけど。

「んっ♡ んっ♡ んあっ……♡」
「はぁっ……はあっ……善逸っ……!」

 パンパンと肉のぶつかる音。揺さぶられる感覚に奥を突かれる快感。俺は必死に相手にしがみついて鳴いていた。頭はふわふわしていて、酒が大量に入っているというせいもあると思うけど、原因はそれだけじゃない。セックスしてるからだ。
 この日は炭治郎の作ったパンが雑誌に取り上げられたお祝いに酒盛りをしていたんだ。最近はお互いに仕事が忙しくて、久しぶりの酒盛りでもあって、酒を多く入れてしまったんだ。だから、まあ、なんでか俺も覚えてないけど……友達の炭治郎とセックスしちゃったんだよね……。
 まさか俺と炭治郎がこんなことになるなんて。揺さぶられてる途中で酒が抜け始めた俺はその状況にびっくりしたけど、抱きしめてくれる炭治郎の腕が気持ちよくて、心地よくて、中もきゅんきゅんしてストップなんて掛けられなかった。なんて言えばいいのか、どんな顔すればいいのかも分かんなかった。もはやなるようになれという心境で、状況に流される他なかったんだ。
 だから失敗した。一通りとセックスが終わってくったくたな俺に対して、炭治郎は元気で、けど優しい奴だからくたくたな俺とさらに……なんてことはなく、「善逸、お風呂入ろうな」なんて言って一緒にいちゃいちゃ風呂に入って、着替えをきちんとして、そして布団で寝た。
 そう。俺たちはあまりにも身綺麗過ぎたんだ。そして仲が良過ぎた。俺たちが同じ部屋で寝泊まりするなんて、よくあることなんだ。男女であってもな。
 だから目を覚まして、どんな顔しよって照れていた俺に比べて、あいつはいつも通りの朝すぎたんだ。起きたら隣に俺がいて、ちゃんとパジャマを着ていて、酒はちゃんと抜けていて、おまけで記憶まで抜け落ちていた。
 そう。あいつ……竈門炭治郎は俺とセックスした記憶なんてちっともなかったんだ。
 俺は叫んだね。あいつを罵って、怒って、でも「セックスしたのを忘れやがって」なんて言わなかった。セックスしちゃったことは口に出せなかった。だから炭治郎からしたら寝起きに機嫌が悪い俺がいるだけで、なんで怒られているのかは分かってなかったと思う。
 いま思えば、そこでちゃんとセックスしたことを勢いに任せて言っておけば良かったんだ。酒が入っていたとしても、やったことは事実なんだし……場合によってはそこでピルを飲もうとかそんな話になったと思う。面倒くさがって産婦人科の受診をしない俺を、炭治郎がきっと病院に連れて行っただろうから。そうしたら、いまこんなにも悩むことはなかっただろう。

「どうしよう……」
 俺は妊娠に関わる説明が書かれたパンフレットの入った袋を片手に、家路についていた。二日酔いのように頭が痛い。三ヶ月前の俺は怒りに囚われてないで、その時にちゃんと病院に行っておいて欲しかった。生理不順ぎみだから、妊娠するわけないとか楽観視しないで欲しかった。
 俺は産婦人科の先生の「おめでとう」という言葉を思い出し、肩を震わせて溜息をついた。どうしよう。どうしたらいいんだろうか。
 心当たりはどう考えてもあの時のことしかない。酔って炭治郎とした時しか心当たりがない。だって俺、彼氏いないもん。大学、高校の時にちょっと出来たけど、セックスにまで至ってないし。俺の初めて炭治郎だし。あいつは……たぶん、違うだろうけど。いまはフリーだけど大学の時に彼女いたしさぁ。なんかフラれてたけど。
「はぁ……」
 俺は自宅であるアパートに到着すると、階段を登って玄関を開けた。すると見事に汚い部屋がお目見えだ。最近、仕事が忙しいから炭治郎が家に来てないんだよね。だから掃除が滞ってる。埃くらいはもちろん取ってるし、掃除機かけてるけど……まあ、炭治郎が来た翌日が一番部屋が綺麗なんだよなぁ。
「……参ったなぁ。炭治郎になんて言おう……」
 俺はそう呟いて、本当に炭治郎に言うのかと自問自答した。だって炭治郎にはセックスした記憶ないんだぞ。いきなり「お前の子を妊娠した」なんて言われても実感もないだろう。むしろ俺が騙そうとしてるんじゃって感じよ。
「いや、本当にそうなるかも……」
 炭治郎は優しい奴だ。俺が自分の子を妊娠したと言い出したら、記憶がなくても受け入れてしまうかもしれない。そして正直な奴だから、知り合いに聞かれたら素直に事情を答えるだろう。そうしたらどうなるか。炭治郎、騙されてないってそんな目で見られるかもしれない。
 俺と炭治郎は共通の知り合い多いけど、人望に関しては月とスッポンだ。きっと皆んな炭治郎がそんなことするわけないって思うだろう。俺だってそうだったよ。まさか酒に酔ってセックスするなんて思ってなかったわ。する前の記憶がないけど、もしかしなくても俺がせがんだのかもしれない。覚えてないけど。
「うわ……言い出せない……。これは言い出せるわけない……!」
 そもそも炭治郎の家には未成年が三人もいるのだ。父親がいない竈門家は炭治郎が大黒柱。繁盛しているパン屋ではあるけど、そこにいきなり妊婦がやって来たら困るだろう。高校からの付き合いで、炭治郎とだけでなく、俺は竈門家にもたくさんお世話になったのだ。その恩を仇で返すようなことはしたくない。
「……一人で産むしかない……」
 少なくとも子供が誰の子かは秘匿しなくては。幸いなことに俺は家族がいない孤児だから、誰になにを言われることもない。友達は心配するだろうけど、俺が一人で産むと決めたら応援してくれる筈だ。その筆頭はきっと炭治郎だろう。あいつの子だけど。
「あー……どうやったら一人で産んで育てられるか……考えないとなぁー」
 俺は一人そうごちて、計画を頭の中に浮かべた。ひとまず国の受けられる支援は片っ端から請求しなければなるまい。あと産むまでにどっかに引っ越そう。できれば誰もいないところ。もし万が一、生まれてきた子が炭治郎に似てたら大変だもんな。

なーんて思っていたけど、俺の考えが甘かったわ。
完全に妊娠を舐めていたわ。
「うっ、うおえええええええ……」
「善逸……大丈夫か?」
「……はぁ……はぁ……だ、大丈夫……」
「いや、吐くほどなんだから大丈夫なわけないよな。熱はないみたいだけど、ウイルス性胃腸炎かな?」
 炭治郎はそう言いながら便座にかじりつく俺の背中を撫でてくれた。その手のひらの暖かさに俺はうるりときてしまう。炭治郎は俺のお腹に赤ちゃんがいることなんて知らないんだ。きっと微塵も想像してない。そりゃそうだ。だって俺はただの友達なんだから。
 でも炭治郎はそんなただの友達が具合悪いっていう連絡するだけで、心配してやってきてくれるいい奴なんだ。ウイルス性胃腸炎かもって思ってるのに、俺を甲斐甲斐しく面倒見てくれる優しい奴なんだ。
「ふ、ふえぇ……」
「ほら善逸。吐き気がおさまったなら部屋に戻ろう。ここは寒いから。桶を借りていいか?すぐ吐けるようにビニール張るよ」
 炭治郎は俺の顔を濡れタオルで拭いて、お姫様抱っこしてベッドまで運んでくれた。病人相手だからって優しすぎでは?こんなことされたら、誰だって好きになっちゃうよ。
「ほら善逸。布団に入って」
「うん……」
「具合が悪いのは今日からか?」
「違う……一週間くらい前から……」
「一週間!?」
 そう。一週間。だって妊娠が分かったのだって体調悪かったからだもん。本当は内科に行こうかなって思ったけど……そういや生理ずっと来てないなっていうのと、ちょうど炭治郎から『今週末に飲まないか?』って連絡が来たので思い出したんだ。もしかしたらっていう可能性があることに。そしてそれは、ドンピシャな予感だったんだ。
「病院は行ったのか?薬は?飲むなら何か腹に入れないと……」
「病院は行った……。健康だって……」
「えっ!?健康でその状態なわけないだろ!?薬は本当にもらってないのか?あっ、これ病院の袋……」
 ベッド付近の床に放っていたビニール袋に炭治郎が反応した。たぶん、袋にクリニックって書いてあるからだろう。でもそれは単なるクリニックじゃない。レディースクリニックだ。その違いを知ってるかは分からないけど、炭治郎は袋を取り上げると中からパンフレットを取り出した。そしてそれをじっと眺めている。
「…………」
「た、炭治郎……?」
 母子手帳についてとか、出産一時金についてとかのプリントやらパンフレットを炭治郎は黙って眺めている。その沈黙が怖くて俺はゴクンっと唾液を飲み込む。さっき吐いたからか、酸っぱさが残ってるようだ。それにしてもこのペースで吐いてたら、俺は仕事どうすりゃいいのかな?有給なんて吹き飛ぶわ。
「……善逸……」
「う、ん……」
 炭治郎に名前を呼ばれてドキドキする。だって父親は炭治郎だから。本当は妊娠を知らせることなく、我妻善逸はクールに去るつもりだったけど、本当につわりがヤバかったからな。遊ぶ約束してたのに体調不良でキャンセルとなれば、優しい炭治郎なら家に見舞いに来ちゃうよね。失念してたわ。どうしよう。炭治郎があの日のセックスを思い出したりしちゃったら——。

「おめでとう!妊娠したのか!」
「あ、うん。そう。ありがとう」
 
 これでもかと瞳をキラキラさせて言った炭治郎は、たぶんちっとも、なーんにも思い出してない。いや、絶対だわ絶対。この目に父親としての覚悟とかそんなのあるわけないもん。ないない、絶対ない。自分が父親なんて可能性、微塵も考えてない。そりゃそうだよなー。だってヤッた記憶なんてないんだから。

「うわーうわー!妊娠かぁ……!善逸、お母さんになるのか!」
「うん、なるよ。なる予定」
「あ、そうか……まだ初期化か……いや!でも善逸と善逸の赤ちゃんなら大丈夫だ!俺は信じてるぞ!無事に生まれてくるって!」
「ウン、アリガトネー」

 炭治郎のその力強い応援は他人事のように感じられた。本当は他人事じゃないだけど、でも他人事だ。俺が父親はあなたよと伝えない限り、炭治郎には父親の実感なんて生まれるわけがない。いや、伝えても生まれないかもしれないけど。記憶ないんだし。

「そうかぁ。楽しみだなぁ。……あれ?でも善逸って彼氏いたか……?」
「いや、いないよ」
「えっ」
「行きずりの相手の子」
「…………えっ」

 この時の炭治郎の顔は、たぶん一生忘れられない。ざまぁみろって思った俺の底意地の悪さも。でも喜びから一転、真っ青になる炭治郎に嬉しい気持ちになったのは本当なんだ。

せいぜい、俺の心配をしろよ。
心配をたっくさんかけて、それでどっかに消えてやるんだ。

************

 子供に父親がいないなんて可哀想……なんて聞くけど、俺には両方いなかったし、片方だけでもいるならそれよりは幸せな筈だろ。まあ、母親が俺っていうのは子にとったら幸せかどうかは分からないけど。……でも俺は俺なりにできる限り頑張るからさぁ。だからどうか、ふたりぼっちになるのを赦して欲しい。

「ああ……怠い……妊娠初期ナメてたわ……」
 俺はそう言ってローテーブルに顎を乗せながら、ノートパソコンで開いているメールの文面を睨みつけた。メールは仕事のものなのだが、内容が頭に入ってこない。いまは吐き気はないけれど、体がだるいし眠くて眠くてしょうがないんだ。
「辛い……けど、仕事はやらなきゃ……」
 仕事をしなくちゃ給料がもらえない。幸いなことに上司に事情を話してリモートワークに切り替えて貰えたのだ。いや本当に、理解ある上司で良かった。こういう時に上司が女性だと助かるよな。
 俺は震える指先でパチパチとキーボードを叩き、そしてEnterを押すと同時に後ろに倒れた。もう一人じゃない俺の体を柔らかなクッションが包み込んでくれる。さすが、人をダメにするソファと呼ばれたものだ。身重の俺の体をしっかり受け止めてくれてる。
「ううー……」
 くるくるとお腹が鳴っているが、まだ返信しないといけない仕事のメールが残っている。それが終われば午前中の割り振りはあらかた片付くから、もうひと踏ん張りと思うけれど体は動かない。うとうととしてきてしまう。
 いや、ダメだダメだ。一人で産んで育てるって決めたんだろ。だったらこんな所でトロトロしてる場合じゃないっ!ちゃんと仕事して、金を貯めとかないと!これからは何かと金が出てくんだから!
 そう思ってはみたものの、怠惰が大好きな俺の体はなかなか動き出そうとしない。あと十秒で起き上がる。あと三十秒、あと一分、あと五分と段々と怪しい雲行きになりつつあったときに、ガチャっと玄関の鍵が開く音がして、俺はふんっと気合を入れて起き上がった。そして、さも今まで仕事してましたと言わんばかりにキーボードを打ち出す。
「善逸ー起きてるかー?」
「起きてるよー」
 玄関の方から声とビニール袋がカサカサ鳴る音が聞こえて、ひょこりと部屋の方に顔が覗いた。その主は竈門炭治郎であり、俺のお腹の中にいる子の父親であるが、父親ではない。だって俺はこいつに、お前が父親だよって言ってないからね。
 炭治郎は「冷蔵庫開けるぞー」なんて言いながら、たぶん自分で考えたこの家に必要なものを冷蔵庫に入れている。そんなに買うものないけどね。なにしろ俺の食事は全部、炭治郎がデリの配達とばかりに運んできてくれてるから。
「お昼持ってきたけど、いま食べるか?」
「あー……うん。あと十五分くらいしたら食べる……」
「分かった」
 炭治郎はそう言うと、当たり前な顔でクイックルワイパーを手に取ると廊下の掃除を始めた。たぶんこのまま、トイレと風呂を掃除するんだろう。当たり前のように洗濯機の蓋を開ける音も聞こえるし、そのボタンを押す音も聞こえる。違うんだよぉ〜やろうと思っていたの!でも朝は起きて、炭治郎が補充してくれるヨーグルト食べてパソコン開くのが精一杯だったの!!
 そんな言い訳をしながらも俺はパソコンを打ち込んだ。廊下の方から炭治郎の下手くそな鼻歌が聞こえる。こいつはこいつで、全く何をしているんだろうか。そう思いながらひとまず仕事の区切りをつけて、ノートパソコンを閉じれば、どうやら俺の様子を具に伺っていたらしい炭治郎が素早く食事を提供してきてくれた。妊婦にも優しい、ローカロリーな和食だ。タッパーからわざわざ出されて、ちゃんと皿に乗せられている。
「善逸、お疲れ様」
「炭治郎もね」
 俺の言葉にニコッと笑うだけの炭治郎だが、こいつはおかしいやつだ。なにしろ毎食、毎食、せっせと俺には食事を運んできているんだから。
「いつもありがとね、炭治郎。本当に申し訳ないわ……」
「いいんだよ」
 いや、よくねぇよ。でもその一言は出てこない。実際に炭治郎の竈門家特性デリの配達は大変助かっているからである。ほぼ、無料だし。材料費として一日あたり三百円だけ払ってるけど、格安過ぎるだろ。配達料金にもならないわ。
「いただきまーす……」
 俺は手を合わせてから箸を取った。焼き鮭や煮物といった料理は温め直されているらしくホコホコと温かい。俺はそれを少しずつ、少しずつ口にしながら、目の前でじっと俺をみている男の気配に緊張していた。
 炭治郎は我が家にやって来ては、食事を食べる俺をよく観察している。たぶん、体調の変化がないか見落とさないようにしているんだろうけど、こいつの世話焼き具合にはハラハラする。もしかしてあの日のことを思い出して、自分が父親なの分かってんじゃないかとか思う。
 まあでも、思い出してたら炭治郎はその話を黙ってたりしないだろう。間違いなく俺に結婚しようと、責任を取ると言ってくる筈だ。決して罪悪感からせっせと俺の世話をしているわけではあるまい。
 いや、そうなるとこいつは尚更すごいな。勝手に行きずりの相手の子を妊娠した友達の世話を見返りゼロでせっせとしてるわけ?お人好しにも程がない?もう少し自分を大事にして欲しい。
「……炭治郎は家で食べたの?」
「ん?うん。もう食べたよ」
「じゃ、じゃあちょっと寝たら?また三時くらいには仕事があるんだろ?ベッド使っていいからさぁ。俺はこれ食べたらちょっと休んで仕事するし」
「うん……ありがとう」
 炭治郎はそう言って微笑むと、本当に遠慮なしで俺のベッドに寝転ぶ。いやいいんだけどさ。俺の家で仮眠とるのは毎回のことだし。
 俺は味がちょっと薄くされてるらしい味噌汁を飲みながら、背中側にある気配にドギマギする。でも次第に寝息が聞こえ始めたので、炭治郎はリラックスしてるのだろう。全く、こっちの気も知らないで呑気な奴だ。まあ、何も伝えてないのは俺なのだから仕方がないのだろう。
「…………はあ」
 なんで炭治郎に妊娠を教えてしまったのだろうか。なにも産婦人科には妊娠だけでかかるものじゃないのだから、誤魔化し用はあった筈だ。なんかこう、薬飲む系の婦人病でーとか。あ、無理か。母子手帳とかの手続きのお知らせの紙も入ってたっけ。
「……美味しい」
 つわりで食えないものが増えたけど、和食ならまだ食べられる。でも和食なんて面倒で、ついついパンとかを齧りがちだ。でも妊婦がそれでいいわけない。炭治郎がせっせと俺の世話をしてくれているのは俺とお腹の子にはありがたいことだ。
 でもなぁ。流石に悪い気がしてくるんだよなー。こいつが俺に種付けした犯人なんだから、ちょっとは困れって思って最初はいい気味だったけど、本当に毎日毎食を当たり前のように運んでくるから、怖くなって来た。竈門家の方は大丈夫?葵枝さんとか禰󠄀豆子ちゃんとか、竹雄くんはおかしいって思ってないかな?
「…………」
 俺は体の向きを変えるとベッドに顎を乗せてよく寝てる炭治郎の顔をじっと見た。禰󠄀豆子ちゃんの顔はじーっと見るけど、炭治郎の顔をじーっと見ることってあんまりなかったなぁ。
 ああ、でも禰󠄀豆子ちゃんのお兄ちゃんってことで顔がいいわ。出会った頃はまだまだ子供っぽい顔だったのに、今はもうすっかり大人の男だ。写真で見た炭治郎のお父さんに似てる。
「お父さんかぁ……。母親ひとりじゃダメなのなぁ……」
 葵枝さんだって母親一人ではあるけど、竈門家は死別というどうしようもないことだ。それに長男がしっかり支えてくれていたし、他の子達もみんな良い子だし。
「俺、ひとりでちゃんと育てられるのかぁ……」
 今からでも炭治郎に言うべきなのだろうか。いや、ダメダメ。恋人でもないんだぞ。ただの親友が酔ってヤッて、失敗してできた。どっちも成人してて、たぶん酔ってたけど合意。でも片側は覚えてて、片側は完全に忘れてる。あの日は俺が結構、炭治郎に飲ませたからなー。割合を考えれば俺の方が悪いかもしれない。どっちから誘ったのかは覚えてないけど、炭治郎はそういうやつじゃないから俺の方が確率高そう。
「…………堕ろそうかなぁ……」
 その選択肢は考えないつもりだったけど、ついに考えてしまった。でもお腹の子を幸せにしてあげられる自信がない。どうしたら立派な母親になれるか見当もつかないし、仕事だってやらなきゃご飯も食えないんだから、その間はどうなるのかな?赤ちゃんの時から保育園とかに預けるの?寂しい思いさせない?いやでも、世の中にはそうしてる人はたくさんいて、だからきっとおかしいことじゃないんだよ。
 でもその人達と同じように俺はできるのだろうか。預けた分、立派に稼いで、子供をお腹いっぱいにしてあげて、離れ離れになった分を埋めるように可愛がってあげられるのだろうか。
「……ぐすっ……仕事しよ……」
 考えれば考えるほど思考が悪い方に行く。なら考えるだけ時間の無駄だ。確か二十二週未満なら堕胎できる筈だ。それまでちゃんと色々と考えよう。

「お腹、けっこう目立ってきたなぁ」
「そりゃあ六ヶ月だからなぁ。もうしっかり胎動もあるし、腹も出てくるよ」
 俺はえっちらおっちらとゆっくりした足取りで商店街を炭治郎と歩いていた。いまは産婦人科の健診が終わったところで、母子ともに健康という太鼓判をもらってきた。間違いなく炭治郎のサポートのお陰だろう。こいつ本気で毎日三回も我が家に来るから、引越しの検討もなにも出来ないままあっという間に妊娠六ヶ月になってしまった。
 しかも割と毎回毎回、しっかり居座って俺の家の家事を片付けていくんだよな。お前は俺の母親か。本当はお腹の子の父親なんだぞ。
「…………はぁ。そろそろ引越ししないとなぁ」
「え?引越し?」
「うん。引越し。今の家は単身者用だからねー。赤ちゃんは泣くのが仕事なんだから、騒音トラブルになる前に引越さなきゃ」
 炭治郎に引越し先を知られたくなかったけど、これはもう面倒だから先に白状しておこう。急にいなくなる方が、こいつ探そうとしてきそうだしな。もう父親が誰か想像もされたくないから、俺たち親子を誰も知らないところに行くって言えばいいだろ。……いけるよな?ちょっと怒られそうな気もするけど、炭治郎に止める権利ないし……。父親が誰か知られたくないのは本当だし。
「田舎にでも行こうかなー。伸び伸び育ててあげられそうじゃない?」
「えっ?仕事はどうするんだ?」
「いやーそれがさ。リモートで仕事がどこまでできるか検証したいって言われてて、田舎に住んでもいいよって言われてるんだよね。働くの厳しくなったら、早めに産休入っていいって言われてるしし。給料はでなくなると補助金頼りだろ?なら物価安い田舎の方がいいかもと思って」
「……でも、知らない土地での子育ては大変じゃないか?」
「そうだけど……でも俺は元々ひとりだし、ここに知り合い多いわけでもないし……。炭治郎と伊之助くらいしか仲良い友達いないし。腹も目立ってきたしなー。これ以上は炭治郎に変な噂立つよ。竈門ベーカリーの店長さんが、金髪の女を孕ませたーって。炭治郎が毎回毎回、健診に付き合ってくれるから、産婦人科の先生たち完全にお前が父親って勘違いしてるもん」
 最初に炭治郎が健診についてくると言い出した時はびっくりしたものだ。でも悪阻が酷くて一人で行くの不安だったからありがたくてお願いしちゃって……それがしっかり習慣化されてしまった。まあ、最初に行く時にふらついて転びそうになったのに炭治郎が肝を冷やした結果だろうけど。でも、安定期にはすっかり入ったし、赤ちゃんもとうとう二十二週超えたし……ああ、もう産むしか選択肢がなくなったなぁ。
 俺は点滅し始めた信号機に足を止めて、そろりと自分の腹を撫でた。するとグッと動いた感覚があって、自然と口元が緩む。数ヶ月前は堕ろすことについて真剣に考えなきゃと思っていたけど、あの翌月には堕ろす気なんて木っ端微塵になってしまった。だって、お腹の中で動いているんだもん。
 まさか四ヶ月くらいで胎動が分かるとは思わなかった。けど、本当にこの中に赤ちゃんがいる実感が生まれて、俺はやっぱり産みたいって強く思っちゃったんだよなぁ。
 もちろん、子育てには不安は尽きないけど、それでもやれることはやるつもりだ。どうしたらいいかあんまり思いつかないけど、俺はやるぞ!!まずは元気なうちに引越しだ!!
 俺はふんっと鼻息を吹かして気合いを入れると、信号が青になったので渡ろうとした。けれどそれは誰かに手首を掴まれてかなわない。ぐっと後ろに引かれて、転びそうになると思ったけど当たり前のように腰を抱かれて支えられた。何事だとびっくりしたけど、するのは炭治郎しかいない。炭治郎以外だった方がびっくりするもん。
「え、なに?炭治郎どうし……」
「結婚しないか?俺と」
「へっ」
「子供が小さい間だけでいいから」
 振り向いたすぐそこにあったのは炭治郎のドアップの顔だ。燃えるような赤銅色の瞳がじっと俺を見ている。こんな至近距離で炭治郎の顔を見たのは初めてかも。いや、そんなことないか。酔ってセックスしたとき、いっぱいチューしたもんな。
 俺はあの時した、炭治郎とのキスを思い出して、なんだか無性に恥ずかしくなった。

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 善逸に子供ができた。
 それを知った時はまっ先に喜びがきて、嬉しくなって、そして父親がいないことを聞いて、胸に穴が空いたような痛みが走った。そうだ。子供ができるということは、相手が必要だということなんだ。善逸は誰かに自分を許して、そしていま父親はいないという状況になっている。
 それに気がつけば湧いたのは怒りだったけど、善逸があまりにも穏やかにしているので、その怒りは何処に行くこともなく、俺の中で埋め火のように燻っている。
 善逸は彼氏が欲しい、彼氏が欲しいとよくみっともなく喚いていたけど、本音としたら誰でもいいというわけではなかった。何度かデートに誘われて行ったのを知っているけど、毎回怒りながら帰ってきたのを見てきたから。
 訳を聞けば、どうやら彼氏候補であった相手に本気で付き合うなら俺と伊之助との関係は精算しろと言われたらしい。要するに今までのように頻繁に遊ぶなということなのだろう。
 たぶん、一般的には当たり前なことだと思う。けど俺たちからすればそれは難しいことだ。俺と善逸と伊之助は、出会ったのは高校からだったけど、兼ねてからの竹馬の友のように一緒にいるのが自然な気持ちになったんだ。
 まるで今まで欠けていたパズルのピースがはまり込むように、俺たち三人は一緒にいるのが当たり前。この感覚は表現は違えど三人とも持っていると思う。だからこそ高校や大学を卒業し、社会人になっても集まるんだろう。伊之助は海外を飛び回っているからなかなか難しいけど、日本に来た時は俺と善逸と頻繁に遊ぶし。
 だけど俺たちのこの感覚は他人にはなかなか伝わらないと思う。かくいう俺も昔の彼女達に何度も聞かれたことがある。『我妻さんと私のどっちが大切なの』と。
 その時の俺の返事はいつだって沈黙だ。大変申し訳ないけど、俺は彼女達に伝えられる返事を持っていなかった。俺は嘘は苦手だから、高校からの付き合いで親友である善逸と、向こうから告白してきて付き合って二ヶ月の彼女では比較にならない。でもそれを口にしたら傷付けるのは分かっていた。まあ、察しのいい彼女たちは俺の沈黙の意味に気がついて、その後すぐに別れを切り出すんだけどな。
 そうして振られること四人。俺はようやく自分が恋愛に向いていないのに気がついた。大学に入ってから善逸に「折角だし、彼女でも作ってみれば?社会人になったら出会いないぞ」と言われたのに一理を感じて告白してきてくれた子を好きになろうとしてみたけど無理だった。
 でも寂しくはなかったんだ。困りもしなかった。だって俺には善逸と伊之助がいたから。善逸もたまに彼氏ができてもすぐに振られていたから、俺たちから離れることもない。泣きながら「あいつ酷いんだぜ!!」なんて言いながらやけ酒を飲むんだ。合コンに行ってモテなかった時もやってたな。大学生の頃はそんなことがよくあった。社会人になってからは善逸が言うように出会いが減ったのか、振られたなんて話を聞くこともなく、だいたいは仕事の愚痴だったんだけどな。

 でも、善逸の胎の中には子供がいる。
 俺の知らない男の子供だ。

 善逸は段々と大きくなってきた腹を撫でさすりながら、ゆっくりとした足取りで歩いている。仕事をリモートワークに切り替えてからは、化粧をばっちりした善逸は見なくなった。女性より母親というような表情をすることが多くなった気もする。腹が膨れているからだけでなく、自分の母親の表情に似たものを浮かべるからだ。
 善逸は刻一刻と母親になっていっている。それに不満は一切ない、善逸ならきっと優しい母親になる。頼りないところもあるけど、間違いなく自分の子に精一杯の愛を注ぐだろう。父親が……いない分も。
「…………」
 再び腹の底にある炎が燃え上がりそうになって俺は堪えた。気を抜くと手につけられない怒りが込み上げそうになる。けどそれをぶつける相手がどこにいない。いないというか、わからないんだ。善逸は腹の子の父親が誰だか教えてくれない。教えてくれたが、『行きずりの奴』なんて言って濁すんだ。
 そんなわけあるか。善逸は行きずりの人間と子供を作るわけがない。つまり善逸は相手を庇っているのだ。
 善逸には相手は子供ができたことを知っているのかと聞いたことがあるが、一応知っていると回答がきた。けどそいつの子とは教えていないと言っていたので、この世界のどこかに善逸を孕ませながらのほほんと暮らしている愚かな男がいるのだ。なんでそいつの子だと教えないのか俺は不満たらたらだが、善逸は「それでいーの」なんて腹を撫でるので、訳ありなのかもしれない。
 ちょっとショックだ。善逸が知らぬ間に大人になり、母親になってしまった。俺にも伊之助にも教えるつもりのない秘密まで作っている。きっと善逸はもう覚悟を決めてしまったんだろう。自分一人で産んで、自分一人で育てる覚悟を。
 それくらいすぐに分かる。何年、善逸の親友をやってきたと思っているんだ。でも、俺の目は節穴でもある。なにせ生まれてこの方、ずーっと近くにいた自分の心については全く分かっていなかったんだからな。

「お、おお……」
「これを役所に持っていけば、俺も善逸は夫婦だな」
「え?これで終わり?簡単過ぎない?あとは手続きだけってことでしょ?」
「だから結婚式があるのかもなぁ」
 そう言いながら俺は俺たちの名前が書かれた婚姻届をクリアファイルにしまい、鞄にもしまう。あとで窓口に持っていこう。
 善逸は自分が使ったボールペンをカチカチと鳴らして遊びながらも、どこか放心しているようだ。今更やっぱなしと言われたら困るから、本当にさっさと婚姻届は出してしまおう。
「なあ、炭治郎……」
「うん?」
「本当にいいのかな……これ。この結婚……」
「いいのかなって……何か問題があるか?」
「え?問題ありまくりじゃない?」
「そうか?結婚した方が善逸のぬわサポートしやすいだろう?出産の時にも病院に入れるし」
「それもそっか??」
 健診からの帰り道、善逸に結婚しようと提案してから二時間。ようやく説得できたんだからこのまま結婚してしまいたい。善逸が混乱しているのに乗じている感は否めないけど、正気になられたら結婚できないからな。
 俺は善逸の肩をぽんぽんと叩き、温めのノンカフェインのお茶を淹れてやる。ひとまずこれでも飲んでリラックスしていてくれ。
「じゃあ、仕事に行ってくるな」
「うん」
「引越しの件はまた相談しよう」
「あー……うん。……炭治郎、いってらっしゃい」
「……いってきます」
 パタンと閉じたアパートの扉は脆い造りで、なんとも頼りない。タックルすれば壊れるんじゃないかという鍵が一つしかないその扉に、俺はモヤモヤとした不安を覚えた。早く善逸を我が家に連れて行こう。そうしたら、絶対に誰かの目が善逸に届くからな。

「というわけで、俺と善逸は結婚したんだ」
「へぇ。俺がベトナム行ってる間にすげぇことになってんな」
 伊之助がそう言いながらビールジョッキを傾けた。キンキンに冷えた生ビールに枝豆、揚げ出し豆腐に唐揚げといつもの定番のメニューが居酒屋のテーブルに並んでいるけど、足りないものがある。
 それはこの場に俺と伊之助しかいないことだ。いままでなら善逸も一緒だったけど今回は欠席だ。なにしろもう腹がかなり大きくて、来月には臨月になるからだ。善逸は伊之助に会いたがっていたけど、明日我が家に来てもらうことで手を打った。だから今日の空港での出迎え兼、飲みへの付き合いには俺だけということだ。
「つーか色々と言いたいことは多いけどよ……」
「うん?」
「お前、それで良かったのかよ」
「なにがだ?」
 伊之助の良かったのかという言葉が不思議で、俺は首を傾げた。すると伊之助は呆れたような顔をして、唐揚げにレモンを絞ってから口に放り込んだ。
「紋逸は腹に子供がいるんだろ? でもそれ、お前の子じゃねぇんだろ?他の野郎の子供なんだろーが」
「いや?俺の子だぞ?」
「ん?」
 俺の返答に伊之助は目を丸くした。そして今までの話を思い出すようにして、そんなこと言っていたかと目で訴えかけてくる。けど俺は伊之助ににっこりと笑った。
「善逸の腹の中にいるのは俺の子だよ」
「………」
「血が繋がってなくても、俺の子だ。だってもう認知してあるから」
「はっ……?あ、あー……そういう……。いや、認知してんのか!?」
「したぞ。しないと出生届の欄に俺の名前が書けないだろう?」
 伊之助はその言葉に沈黙すると黙々と枝豆を食べ始めた。多分、俺に対してなにを言うべきか迷っているんだろう。言いたいことは分かる。俺も血の繋がりのない子の認知をするのはどうかと思う。けど、これでいいんだ。
「それに後から本物が出てきた時に権利を主張できるからな」
「やっぱりそっちが目的なのかよ……」
「うん。善逸は頑なに相手を教えてくれないけど……結婚したし、子供も認知してる。このまま婚姻した年数を重ねれば、後から相手が現れても有利だと思う」
「そりゃ、まあなあ」
「善逸も相手には子供ができたとは伝えたみたいだけど、自分の子供とも気づいてない奴に、善逸を渡すわけにはいかないからな」
 俺は実家にいる善逸の姿を想像してみた。今日は月曜日だから、きっとドラマを禰󠄀豆子と花子と見ているだろう。その手にはベビーカーのカタログがある筈だ。そろそろ必要なものを揃えておかないといけないからな。流石に六太が使ってたものは残っていない。おもちゃが少しある程度だ。
 真剣に赤ちゃん用品を選ぶ善逸は可愛い。可愛らしい。随分と気がつくのが遅くなってしまったけど、結婚できて嬉しい。子供の父親になれて嬉しい。俺はきっとずっと、善逸が好きだったんだ。
「ふふふ……」
「なんだぁ?気持ち悪りぃな」
「酷いぞ、伊之助。……ちょっと善逸のことを思い出していただけだ。知ってるか伊之助?善逸は寝顔が可愛いんだぞ」
「ビール一杯で酔ってんのか?白目剥いて涎たらした寝顔しかしらねぇよ」
 俺は照れ臭くて家族にはなかなか言えない惚気を伊之助にたくさん話した。話せば話すほど自分の身に染みるのは、いかに俺が善逸を好きかだ。残念ながら善逸から同じ量の気持ちは望めないけど、子供が生まれて、夫婦として子育てをしてくうちに愛が育てばいい。善逸は情が深い人だから、俺に恋をしなくても、きっと愛を感じてくれるようになる。
 そう思いながら、いつか現れるかもしれない子の父親という存在に烈火の如く燃える怒りに砂をかけ続ける。ぶつけ先のない炎は埋め火でいてくれ。

**************

「おやすみ善逸」
「おやすみ炭治郎」
 夜の十時は夫婦揃って布団に入るにはちと早すぎる時間だ。まあ、このあと布団の中で愛の営みでもするならちょうどいい時間かもしれないけど、我ら夫婦にそんなことは起きない。何しろ愛はあっても情愛はないんだから。あと俺は臨月です。夜の運動なんてできるわけない。
 俺は腹が重くてもう横にしかなれない。そっぽを向くのもあれだからと隣にいる炭治郎の方を向いているけど、とうの炭治郎はもうスヤスヤ寝てる。とんでもなく寝つきいいな。
「夫婦かぁ……」
 俺は音にならないくらい小さな声で呟いて目を閉じた。炭治郎と結婚して、一緒に竈門家で暮らすようになって四カ月ほど。正直、あまりにも幸せで困っている。家族というものに縁がなくて、薄らぼんやり憧れを持っていた俺を突然理想的な家族である竈門家の中に入れたらどうなるか。もうお分かりだろう。理性がぐずぐずに溶けて、もうずっとここにいたいです。
 だって禰󠄀豆子ちゃんのご飯は美味しいし、葵枝さんは優しいし、花子ちゃんは可愛いし、他の子達もみんないい子だし、先々月に産休に入ったけど、そうしたら本当に俺はすることがない。お家のお手伝いをちょっとして、体のために散歩をするくらいで何もすることがない。快適すぎる……!!
 いや、出産して子供も手が掛からなくなったら、ちゃーんと色々とやりますよ?この恩を返すためにバリバリ働きますよ?だって申し訳ないじゃん!炭治郎と俺は仮面夫婦みたいなものなのにさ。炭治郎は俺と赤子を心配して、一時的に夫役、父親役を務めるのを決めてくれただけなんだしさぁ!!
 でもそんなの葵枝さんや禰󠄀豆子ちゃん達は知らないみたいで……お腹の子は炭治郎に似てるか、俺に似てるのか、両方に似てるのかと毎日毎日楽しそうなんだよぉ!!

 ご、ごめんなさいっ!!お腹の子は……お腹の子は……本当に炭治郎の子なんです!!

 そうだよ。炭治郎の子なんだよ。葵枝さんも禰󠄀豆子ちゃんのワクワクもなんら問題なかったわ。問題あるとしたら炭治郎が知らないってことなんだよなぁ。
 というよりも気がついたら炭治郎と結婚してたんだよな。俺の氏名と判子の以外の欄を全て埋めてある婚姻届が出てきて、ちょっと落ち着けと炭治郎を説得しようとしたのに、気がつけば判子を押していたんだよな。なんでだっけ?竈門家がいかに理想的な子育ての場所であるかとか、一人で育てる困難さとか色々言われた気がする。
 俺も炭治郎の話を聞いてて、産後うつになったら赤ちゃんの命を危険に晒してしまうかも……なんて不安になってきて、元々は引っ越してどこか遠くに行くつもりが、気がつけば炭治郎の懐の中に飛び込んでしまっていた。
 あとどさくさに紛れて認知届の同意を書かされていたな。婚姻届と一緒に出しておくと、後あと楽だからってことだったけど、何が楽だって言うんだよ。なんで認知してるんだよ。まあ、炭治郎の子供なんだけどさっ!!
 なんか、もうどうでも良くなってきた気がする。もはやカミングアウトしてもいいんじゃないだろうか?酔って忘れてるけど、お腹の中の子は炭治郎の子よってさぁ。もう、責任取ってもらってもいいんじゃない?だって炭治郎、取らなくていい筈の責任を取ってるし。
「……炭治郎のばか……」
 なにをせっせと自分の子じゃないと思ってる相手と結婚してるんだよ。お前の優しさは天井なしなのかよ。誰にでもそんなことするのか?いや、するわけないだろ。相手が俺だからしてくれてんだよ。俺が炭治郎の親友だから……子供が大きくなって少しは手が掛からなくなる間だけは、ここに居ていいよって手を差し伸べてくれてるんだ。自分の婚期と戸籍謄本を犠牲にしてまで。離婚したら離婚欄に俺の名前が載っちゃうのにね。
 俺はちゃんとしなくっちゃ。炭治郎の優しさを裏切っちゃダメだ。子供が大きくなったら、小学生になったら、炭治郎から卒業しなきゃ。炭治郎は絶対にいいパパだし、葵枝さんは絶対にいいおばあちゃんだから、子供が離れるのを泣いて嫌がる未来がくっきり見えるけど……炭治郎をちゃんと解放してやらなくちゃ……!!

「わぁ〜♡ もう歩くんだ〜♡」
「そうなんだぁ。好奇心旺盛なお転婆ちゃんでね〜」
 花子ちゃんが手を叩いて「すごーい♡」と言っているのは俺の一人娘だ。最近あんよが出来るようになったところ。おむつで膨らんだお尻をふりふりしながら歩くのは大変可愛らしい。家族はみんなこの子にメロメロで、猫っかわいがりをしているくらいだ。
「それにしても……善逸さんに似てるね〜!女の子だからかなぁ?お人形さんみたい〜♡」
「え、えへへぇ♡」
 お人形さんと褒められたのは娘であるが、間接的には俺も褒められているよね?だって俺の遺伝子なわけだし。正直、炭治郎に似て生まれてきたらどうしようと思っていたが、なんと子供は俺そっくりに生まれてきた。あ、でも口元とかは炭治郎に似てるから、出っ歯じゃない。なんとも仕上がりのいい顔で生まれた娘は大変に愛らしい美少女であった。鼻もちょっと高い気がするし、眉毛も俺に形は似てるけど、俺より太くなくて可愛らしい。金の髪に蜂蜜色の目。でも瞳孔あたりは赤銅色っぽさが入っていて、不思議な色だ。ずっと見つめていたくなる不思議な色。
 俺はふっくらとした頬っぺたの娘を見ながら、心底ホッとしていた。炭治郎に似て生まれたらどうしようかと思った。だけど俺に似て生まれたから大丈夫。これで、これで……。
「ただいまー」
「たーだーいーまー!!」
「たっだいまぁぁぁー!」
「おかえりー!大きな声で叫ばないでー!」
 俺は入り乱れた声にそう返すと、どっこいしょと立ち上がった。ちゃんと手を洗っているかを確認しようと思ったのだが、俺が廊下に出るより早く、リビングに二つの影が駆け込んでくる。
「おおっ」
「ただいま母さん!ただいまー姫ちゃん!」
「姫ちゃんただいまー!」
 そう言っているのは手がびしょびしょに濡れた次男と三男で、二人はおもちゃの車を引きずって歩いている我が家の姫(あだ名)にランドセルを背負ったまま、飛びつくように寄っていく。それを微笑ましい気持ちで眺めていると、ひょこりと大きな影が俺の横に現れた。
「おかえり」
「ただいま母さん」
 そう言って笑うのは長男だ。父親を真似て前髪を撫でつけているから、形のいい額がよく見える。そこには父親と同じような火傷はないけれど、それを除けば本当に生写しというくらい炭治郎に似ていた。いや、次男と三男も炭治郎にそっくりなんだけどね。
 いやー本当に娘が俺に似てて良かったわ。正直、俺の遺伝子はどこいっちゃったのかなって思ってたけど、本当に良かったわ。俺の遺伝子、ちゃんとあった。
「三人ともランドセル置いてきなさいな。おやつ用意しとくから」
「「「はーい」」」
 男兄弟たちはわあわあ言いながら三階へと上がっていく。そこに子供部屋があるからだ。長男が産まれて早十年。禰󠄀豆子ちゃんや竹雄君だけでなく、六太君までが成人して竈門家を出て行ってしまっている。人によってはもう所帯を持っていて、子供もいる。葵枝さんは孫が沢山いるおばあちゃんだ。
 俺はおやつのパンを用意しながら、月日が経つのはあっという間だなと思う。長男を出産して、ようやく乳離れもオムツの卒業もしたと思ったら二人目を懐妊してしまった。お陰様ですぐにまた産休突入になるから復帰は諦めて離職になってしまった。ちょっと職場には申し訳ない。
 だけどなんとなく、まだまだ産むような気がしたんだよね。その予感は正しくて、三人目も次男が二歳になる頃にはお腹にいた。でもそこからは竈門ベーカリー二号店の出店とかで炭治郎が忙しくて、ご無沙汰にはならなかったけど話し合って子作りは控えよっかってなって、落ち着く目処がついてようやく四人目。念願の女の子だ。
 炭治郎も子供達もそれはそれは喜んで、ママに似てるってとっても可愛がってくれてる。まあ、我が家のプリンセスは交代になっちゃったけど、我が娘ながらとんでもなく可愛いからな。これは幼稚園でのお遊戯はお姫様役間違いなし……!!!
「ふふふ……」
 俺はおやつの皿をダイニングに三つ置いて、エプロンを取った。有休消化で実家に帰ってきた花子ちゃんもいるし、炭治郎に見た目も性格も似てる頼れる長男が帰ってきたし、俺はちょいと炭治郎のところに行ってこよう。今は午後の仕事に向けて仮眠中なんだよね。そろそろ起こさなくちゃ。
「花子ちゃん、俺は炭治郎起こしてくるね」
「はーい」
 俺は階段を降りて夫婦の寝室がある一階に向かいながら、そろそろ頃合いかなと考えた。炭治郎に伝えるタイミングをなんとなく逃していたけれど、そろそろ伝えなければなるまい。
「……さて、腹をくくるか」
 思えば俺は人生に関わる大事なことは、つい人に隠してしまう癖があるのかもしれない。次男、三男、長女とそれぞれがお腹に出来た時もなかなか炭治郎に言い出せなくて……でも炭治郎はいつだって喜んでくれたんだ。嬉しいって言ってくれた。だから、本当はその言葉だけまっすぐ信じていればいいんだ。
 俺はそろりと夫婦の寝室のドアを開けて中に入った。そこには子供達が帰ってきても寝てられるくらい、熟睡した炭治郎がいる。家族の為に頑張るお父さんをもう少し休ませてあげたいけど、夕方の仕事があるからな。俺はそっと炭治郎に近づくと、横向いて寝ているせいで出ているこめかみに優しく口づけた。

「あのさ、炭治郎。実はね?」

そして額を撫でるとふふっと笑った口元に目を細めて、とっておきの秘密を耳に吹き込む。

「五人目できちゃった♡」

♡♡おしまい♡♡


☆蛇足的な補足☆
善逸はすっかり長男が炭治郎の子だというのを伝えるのを忘れてます。産んでしばらくは「炭治郎にそっくりだ……。どうしよう……」と思っていたけど、その後に普通に夜にいい雰囲気になって、普通にセックスしちゃったし、なんだかんだ回数重ねてるうちに二人目できたし、炭治郎の目や態度からちゃんと愛されてるのを感じて離れるのはどうでも良くなった感じです。そして長男の父親は炭治郎と伝えるのはすっかり忘れた……。
炭治郎は炭治郎で日に日に自分に似ていく長男にやや頭を傾げているけど、血が繋がっていなくても可愛い我が子なのは変わらないので、あんまり父親の血については深く考えてないまま、今に至る……という感じです。
まあ、ギャグなので。
ありがとうございました!

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